いずれ保守ブームも終焉を迎える

安倍総理も退陣する

ネットではまだまだ保守言論が強い。

だが、それも永久に続くわけではないだろう。

今の自民党安倍総理のカラーが非常に強くなっている。
日本会議とやらに加入している議員も多い。

だが、安倍総理とていつまでも自民党総裁を続けるわけではない。
やがて引退するときがくる。
そのときに、今の自民党の復古的保守カラーはだいぶ薄まるのではないかと見ている。

「そんなことを言っても安倍総理の周りの若手は、右寄りの発言が多いではないか?」という反論も聞こえてきそうだ。

確かに、安倍総理の周りにいる若手議員たちは、ある意味、安倍総理よりもさらに右寄りではないか?という感じの人たちが多い。

ただ、こういった人たちの多くは、安倍総理に迎合している部分が大きい。

考えてみよう。
自分の部署に新しい上司が赴任してくる。
その上司はゴルフ好きだそうだ。
ならば、自分もゴルフを始めようではないかと思ってもおかしくない。

実際、霞が関なんかは、そんな人たちばかりだという。

永田町だってそうだろう。

安倍総理の個人的復古趣味に合わせて、周囲の自民の若手たちも日本会議的な発言を勇ましくまき散らしていたりするのだ。

まあ、中にはミイラ取りがミイラになっているような残念な感じの人も少なからずいるのかもしれないが。。。

なぜ安倍総理にそこまで周囲が合わせるのかといえば、もちろん、安倍さんが選挙にめっぽう強いからである。

その時々のスキャンダルで支持率を多少落とすことはあっても、選挙になると安倍さんは負けなしである。

なぜ選挙に強いかと言うと、経済政策に強く見えるからである。

ただし、あくまでも表面上、ライバルである野党と比較したうえで経済に強く見えるということであって、実際に経済政策に強いのかは別の問題だが。

国会議員は、選挙に勝てている間は地位や生活が安泰なので、安倍総理をひたすら支持し続ける。

しかし、安倍総理もいずれはいなくなる。

ゴルフ好きだった上司が転勤してマージャン好きな上司が新たに赴任したら、部下たちもさっさとゴルフからマージャンに乗り換える。

同じく、次の総理が安倍総理と全く異なる方針であったら、今の自民の若手代議士たちも、あっさりそちらに乗り換えるはずである。

もともと、自民党の中で伝統的に強かった保守本流は、憲法重視、軽武装を旨としていたのだ。

世論としての保守ブームの終焉

日本の世論にしてもそうだ。

日本は終戦後、マスコミでも知識人たちの間でも、ながいことリベラル言論が強かった。
この流れを断ち切ったのが、小林よしのりだ。
小林よしのりの「戦争論」が出て、これに2ちゃんねらーなどの冷笑派が加わり、日本人の価値観なり考え方の枠組みを大きく作り変えてしまった。

それこそ、怒涛の勢いであった。

それまで当然と思っていたリベラル的な言論が、急速にリアリティを失っていった。

自分を取り巻く価値観が、あの普遍的だと思われていた価値観が大きく揺らいでぶっ壊れていく、そのエキサイティングな状況に多くの人たちが興奮した。

旧来のパターン化テンプレ化していた左翼言論に比べ、新しい考え方には、圧倒的な勢いがあった。

今は、その頃よりもさらに国民の保守的な傾向が強まっている。

ただ、その保守言論も徐々に飽きられつつあるように思う。

保守言論で生活している人たちの顔ぶれも固定化しており、言っていることもほぼマンネリになりつつある。

保守言論人の周囲の取り巻きも、「●●さんこそ本当の愛国者です!!頑張ってください!!!」とインコやオウムのように連呼を続ける。

小林よしのりの漫画にかつて酔いしれた人たちの中にも、ウンザリし始めている人も多いのではないか。

当の小林よしのり自身が、こういう周回遅れのフォロワーたちと距離をとっている。

小林よしのりの頃は、左翼言論が権威だった。

「人権」とか「反戦」「憲法」みたいな価値について、異論を言えない雰囲気が強かった。

私が高校生の頃に、同級生のヘビーな特撮オタクの前で、自衛隊を擁護したら、「自衛隊w」と、ものすごくバカにされた。

反戦人権思想」が、強い抑圧として機能していたからだ。

だから、タブーをぶっ壊した小林よしのり戦争論に大きなカタルシスを感じたものだ。

しかし、今は、逆である。

今は、ネットで何か政治的な発言をするたびに、「反日」だとか「売国奴」と罵声を浴びせられる。

かつての左翼言論のように、今は保守言論が強い抑圧として機能してしまっているのだ。

日本のことを悪く言っているわけではない高校生、大学生が、韓流スターや韓国コスメの話をしているだけで、見ず知らずの大人から「売国奴」と罵倒されたりすることもあるのである。

反感を買わないわけがない。

まあ、今は日本と韓国の双方の政府同士でバトっている状況は保守側にとっては好都合なので、もうしばらくは保守ブームが続くだろう。

また、左翼言論崩壊時に現れた小林よしのりに匹敵するような人材、いままでのようなテンプレ化した言論ではなく新しい言葉を持った才能が、まだリベラル側に登場していないことも、保守言論の延命をある程度引き延ばすだろう。

ただ、かつて左翼言論に抑圧された経験が保守言論を生んだように、保守言論による抑圧が、静かに、そして着実に、復古的保守への反感を育んでいるように思う。

この反感は、どこかのタイミングで爆発する。

リベラル言論であっても、保守言論であっても、永続的に続く言論など存在しないのだ。

いずれは、保守ブームも終焉を迎えるだろう。