上野千鶴子さんによる東大入学式での祝辞について思うこと

上野千鶴子名誉教授がよりによって東大の入学式で、
「君らが受験勉強に打ち込めたのは恵まれた環境のおかげや」
「努力したくてもできない人たちのことも考えろや」
みたいなことを(もうすこし上品な言い方で)述べて、賞賛と物議をかもしているようです。

新入生の親御さんの中には、かなり切れていらっしゃる方も多かったようです。

まあ、無理もないでしょう。
自分の子供の晴れの舞台を祝ってもらえると思ってわざわざ来ているわけですから、斜め上の祝辞にお怒りになるのも仕方がありません。

一方、「東大生どもよ。調子に乗るな。環境に感謝しなさい。」などと溜飲を下げたりドヤっているイタい人たちも結構います。

とはいえ、上野さんの祝辞は、名演説だと思います。

おそらく、何十年たっても忘れられることなく、機会があるたびに何度も引用され続けることでしょう。

最初に祝辞の内容を知って思ったのは、
「さすが東大だ。その辺の凡百の大学とは違うわ。
そして、そんな素晴らしいところに一生懸命努力して入れた人たちも素晴らしい。
うらやましい。
行けるものなら東大に行きたかった。」
というものです。

たいてい、行事とか儀式での祝辞って、建前ばかりでクソつまらないもんです。
平凡な単語、退屈な表現で、毒にも薬にもならない無益な言葉を連ねていく。
そういうもんです。

上野さんがしたような挑発的な挨拶は、普通の大学の新入生たちに向けてやったら、ブーイングが起きるはずです。

「祝辞でいうことじゃないだろう。」という反応が大半を占めるでしょう。

それが、(私を含めた)凡人の感性というものです。
普通の人たちというものは、自分たちのお祝い事に関しては、平凡で中身がなくても、あたりさわりのない祝辞の方をありがたがるのです。

「君たちは今、新たな一歩を踏み出した」とかなんとか、テキトーなことを言ってもらっていれば十分に嬉しいわけです。

ごく普通の人たちの集団では、不謹慎なことを言ったりするやつがいると胸ぐらをつかまれたり殴られたりします。
中二病全開な言動をしたりオタクくさいことをするやつがいると気持ち悪いと蔑まれたりします。

しかし、東大は違います。

知的な人たちが集まる空間というものは、許容度が高いのです。
まさに東大という感じですね。

あの祝辞はありきたりの緩い祝辞とは全然違いましたね。
明らかに異質な言葉をぶっこんできた。
もちろん、大学のお墨付きのもとにです。

相手が、弱小独裁国家のお殿様や親から利権を受け継いだ田舎の権力者みたいな似非エリートだったら、すごいすごいと持ち上げておけばいいわけです。
持ち上げておかなければ、自分の命にかかわります。

しかし、相手が東大生であるからこそ、真摯な言葉で語りたい、言わなければいけないと上野さんは思ったのでしょう。
聞き手の知性に期待しているからこそ、ああいった祝辞が成り立つわけです。

上野千鶴子氏が東大生の知性を信頼して、大人扱いしている証拠だと思います。

 

以上は、東大とは何の関係もない個人の感想です。

 

追伸

その後R25がおこなったアンケート調査では、東大の新入生たちの間でもこの祝辞をいいと評価する声の方が多かったようですね。

さすがです。