有能な営業マンは保守の方々に憲法の良さを売り込めるのか

いうまでもなく憲法は国家の基本法かつ最高法規です。

あらゆる法律の上に立つ、強力なルールです。

しかし、日本国憲法は国民全員が異論なく尊重しているというわけではありません。

いわゆるリベラル側からは法であることを超えた人類の普遍真理であるかのように尊ばれてはいるものの、保守側からは自分たちを殴りつけるこん棒のような扱いを受けていることが多いです。

極端な場合、日本で起きる諸悪の根源という扱いをする人までいます。

ここでは、多かれ少なかれ憲法アレルギーを持っている保守っぽい人たちに憲法の良さをどうやれば売り込めるのかを考えてみたいです。

ここで「保守っぽい人たち」といったのは、ガチの右側の方々には、どんな有能な営業マンでも憲法を売り込むのは難しいと思ったからです。

体質的に牛乳をどうしても受け付けない人に無理やり牛乳を飲ませたら、これはもう虐待です。

他人に危害を加えないのであれば国民が憲法を認めない自由も憲法で保障されています。

したがって、そういう方々に無理に憲法を認めさせる必要もないですし、誰もそんな権限を持っていません。

 

さて、保守の方々に憲法の良さをどう伝えるのかについて、数々の秀逸なたとえ話や分かりやすい説明がリベラル側からなされていますね。

なるほどと感心するものが多いです。

ただ、リベラル側の説明では、国家(あるいは今の政権)を基本的に悪いものととらえて説明しているものが多い傾向があります。

国家を猛獣、憲法を檻に例えるとかね。

保守の方々の多くは国家(あるいは今の政権)と自分のアイデンティティを重ねている人が多いので、そのような説明だと、話の冒頭で保守の人たちの心を閉ざしてしまう可能性が高くなります。

セールスでいえば、セールストークを始めて15秒で「結構です。間に合っています。」と拒絶され、その後に何を話そうが聞いてもらえないという状況です。

また、憲法の説明をする場合に、憲法の背後にある人権思想などについて熱く語るのもNGでしょう。

立憲主義、人権思想が偉大な人類の英知の結晶の一つであることは否定しませんが、そういった思想にどこまで感銘するかは個人差がありますし、人権思想への思い入れが強すぎるあまりに陶酔的におすすめしてしまうようなことがあると、同じ感覚を共有できない人たちからは、かえって拒絶反応を起こされてしまいます。

むしろ、憲法を広く売り込むのであれば、ニュートラルで有用なツールとして説明する方がいいでしょう。

 

もしも憲法がなかったら、どうなってしまうのでしょう。

将来、今の自民党とは違う系統の新興勢力が政権をとったような場合を想像してもらいましょう。

ソフトなリベラルではなくもっと原理主義的な革命左翼でもいいでしょうし、我々が通常想像するような保守の範囲を逸脱した極右政党でもいいでしょう。

そういった勢力が政権に就き、憲法を無視して現在の共謀罪を足掛かりに改正して、もっと強力な権限を国家に与えたらどうなるでしょう。

そうなれば自分たちに反対する人間を逮捕し放題です。

現在も共謀罪がありますが、現実には自民党政権が自制してそれを使わないという状態です。
しかし今の自民党とは無関係な、本当にやばい人たちが政権を取った場合はどうでしょう。

共謀罪が存在するのだから、それを改正したり、フル活用して何が悪い」と開き直り、使うことに躊躇しないかもしれないですね。

日本でも民主主義や人権面で多少問題がある制度が残っていたりしますが、それでもそこそこ上手くいってるのは、なんだかんだと、今まで政権を担ってきた側(主に自民党)にある程度のバランス感覚があったからでしょう。

日本では自民党一党支配の期間が長く、個々の問題はいろいろあったにせよ、大惨事というほどの事態は起きていませんからね。

このように、「ある日突然、自分たちに敵意を持った連中が政権をとるかもしれない」という不安と無縁になってしまうと、民主主義や人権に対しての感覚がどんどん鈍感になってしまいます。

憲法の重要性を意識しなくなっていくのです。

だが、何かのきっかけで、そういったバランス感覚のかけらもない人たちが政権を取る可能性だって存在するわけですね。

そういった時のために、憲法で原理原則をガチガチに縛っておかないと危なっかしくて仕方がないのです。

 

国家はおおむね我々国民にとって頼りになる存在なのですが、指導者、統治者がはずれだった場合に暴走することがあります。

そういうときに憲法が守ってくれるわけでです。

 

日常的な例に置き換えてみましょう。

私たちが特定の薬剤を服用し続けていたとします。

その薬剤がなければ健康を維持できない、あるいは命を失いかないぐらい重要だったとします。

もちろん、医学薬学の進歩に感謝もしていますし、その薬剤がありがたいと思っています。

しかし、どんなにその薬にお世話になっていても、その薬の「副作用」については気になるのが普通でしょう。

「副作用」が起きないように量を調整したり、ほかの薬と組み合わせるなどの工夫が必要になります。

 

もう一つ例を出します。

近隣を流れる川のおかげでその地域では農業が発達しているとします。

その川は有用だし、地域にとってはとてもありがたい存在です。

だからといって、増水でその川が氾濫して洪水になったときのことを全く考えなくていいものなのか。

当然、堤防ぐらいは築くわけですね。

堤防を築いたからといって、川を悪者にしているわけでもないし、川の有用性を否定しているわけではないですね。

 

日本国民にとって日本という国家が頼りになって、自分たちを守ってくれる存在であることはその通りです。

しかし、そうであったしても、国家が暴走する可能性など、一切の「副作用」や「洪水」のケースをまったく考えないという姿勢が正しいことといえるのでしょうか。

 

「君の話には現実味がないし、可能性が低い仮定の話をされても切実に感じないね。」という声も聞こえてきそうです。

しかし、現実には交通事故を起こす可能性が低くても賠償保険には入りますし、頑健で病気なんて考えられないという人だって生命保険や疾病保険ぐらいには入りますよね。

めったに起こらないことに備えるのは、起きた時のダメージがあまりにも大きいからです。

もちろん、50歳をすぎても全く運動せずに脂っこい肉を大量にとり、お酒もたばこも無制限に嗜んでも平気な豪傑もいますから、考え方は人それぞれでしょう。

ただ、「万が一に備えて、国家暴走の心配をする人がいるのも一理ある」とか「実感はわかないけど頭では一応理解できる」ぐらいには思っていただけるのではないでしょうか?

 

幸福度No.1とされるブータンは、政治的には独裁国家といってもいいです。

それでも、国民の多くが幸福を感じているのは、幸いなことに、名君による統治が続いているからでしょう。

名君の場合には、独裁国家であろうが憲法による人権保障がなかろうが、おおむね国家の運営はうまくいくわけです。

しかし、ブータンの先代の国王は、在任中、周囲の反対を押し切ってでも、自らの強力な王権を少しずつ制限していったそうです。

国家運営はいずれは国民に委ねていくべきであるという方針を支持していたわけです。

 

ところで、この記事のタイトルは「有能な営業マンは保守の方々に憲法の良さを売り込めるのか」となっています。

「営業マンを名乗っている割にこのブログ主、売り込みがうまいとは全然思えない」という手厳しい声が聞こえてきそうです。

すみません。

白状すると、私は有能な営業マンどころか、営業マンですらないのです。

どなたか、有能な営業の方に憲法の売り込みと普及に興味をもっていただけるとありがたいのですが。