いつも「これのどこが差別なのか分からない」と反論する人たち

グッチが黒人差別?

グッチの商品が「黒人差別」だと炎上し販売中止になりました。 

黒いハイネックで口に当たる部分に大きな赤い唇の意匠が施されています。
これが、黒人を侮辱するブラックフェイスという化粧を連想させるのだと。 

そういう報道があると、必ずと言っていいほど「何が差別なのか分からん」。
「差別という人こそ差別している」という多数の声が上がります。

こういった反応まで含めて、すっかりテンプレです。 

ことさら騒ぐ必要はないという意見にも、いくつかの言い分があります。

言い分 その1 差別する意図がなければ大丈夫

言い分 その2 黒人みんなが怒っているわけではない

言い分 その3 世の中が窮屈になる 

今後、差別を連想させる恐れのある表現への風当たりはさらに強くなっていく

ゆげしまは、特に、人権派とか良識派というわけではありません。
しかし、この手の反論については、非常に冷めた目で見てしまうのです。 

まず、世の中というか世界全体で、人を傷つける表現をできるだけ避けようという大きな流れができて、十分な加速がついており、もはや止められません。
一時的な反動や揺り戻しはあるかもしれませんが、未来予測としては、こういった表現についてのタブーは今後、更に強くなっていくと思っています。

「差別じゃない」と反論をどんなに並べ立てても、差別だと起こっている人が、「あ、そうだったのか。差別じゃなかったのですね。私が間違っておりました。」と意見をかえることはほとんどありません。

大勢は決しているのです。

一生懸命「これは差別ではない」と反論しても、世の中の動きを少し遅くするぐらいしかできないのです。

グローバル企業で差別を連想させる危険のある表現に対処しないことは死活問題

また、仮に、差別だと感じる人よりも差別ではないと感じる人の方が数が多かったとしても、差別だと感じる人の数はそれなりにいます。

数パーセントだったら無視して押し切れるかもしれませんが、そんな割合ではなく、何割かはいるはずですからね。
世界的な企業が、その何割かを全く無視してやっていけるはずもありません。
グッチの客層はハイクラスですから、ポリコレや反差別をうたう人たちとはむしろ相性がいいでしょう。
世界的企業は、反ポリコレのスタンスでは成り立たないはずです。

「差別ではない」という人たちがいくら声を上げてもグッチにとって何のプラスにもならないのです。 

というわけで、差別ではないとの反論がいくらなされても、非常に冷めた感想しか持てません。

表現への敏感さは従業員の必須能力になっていく

少なくとも、「何が差別なのか分からん」という人は、今後、企業での危機管理とか企画の仕事はやらない方がいいと思います。
何が炎上するのかについての感度が低いってことですから。 

炎上系の零細個人事業主やアンチポリコレで飯を食っているコメンテーターやブロガーなら「自己責任でお好きにどうぞ」って感じなんですが。 

「差別差別と面倒くさい世の中だ、生きづらいわ」と思っている人もいるかと思います。

しかし、昔とは違って普通の会社員でもセクハラやパワハラコンプライアンス等については詳細で面倒な研修を受けます。

オペレーションもますます複雑化しているなか、みんな、面倒くさい中、アップデートしています。

自分だけ、「面倒くさい」ではすまないのです。 

今の社会で生きていく限り、いたるところに埋まっている地雷を踏まないように細心の注意を払う必要があります。

失敗すると命取りになるのです。 

なんでもかんでも「個人の感覚」「それぞれの考え」で判断できる時代は終わったと思います。