保育士の給与はなぜ低いのか・・・給料はどうやって決まるのか

大炎上したホリエモン発言

少し古い話ですが、ホリエモンこと堀江貴文さんが、保育士が低賃金なのは誰でもできる仕事だからですみたいなことを言って大炎上しました。

堀江さんに対する反対意見は、「大変な仕事なのに低賃金なのはおかしい。待遇改善すべき。」というものです。

どちらが正しいのでしょうか?
保育士の給料はなぜ低いのでしょうか?

モノの値段の決まり方(2つの考え方)

給与に限りませんが、モノの値段とか相場の決まり方には代表的な2つの考え方があります。
まずはモノの値段で考えましょう。

その1 モノの値段はどれだけ手間がかかっているかどうかで決まる

作るのに時間がかかるもの、手間がかかるような、手の込んだモノだと値段は上がります。
ダイヤモンドや金のように、探したり取りに行ったりするのに時間や苦労を必要とするモノについても値段は上がっていきます。

マグロのように加工していないものでも、実際にいろいろ準備して海に行って漁をして大変な思いをしないと市場まで持ってこられないものについても値段が上がります。


その2 モノの値段は需要と供給の関係で決まる

モノを買いたいという人が増えるか、あるいはモノを提供する人が少ない場合には、買い手は競争して手に入れなければならないので値段が上がります。 

逆に、モノを買いたい人が減るか、あるいはモノを提供する人が増えれば、すぐに手に入るようになるので、値段を下げなければ売れなくなります。 

学校で公民の時間に習ったことがある人が多いかもしれませんね。

保育士の給料に当てはめて考えるとどうなるか

保育士の給料に当てはめて考えます。

「その1」の考え方によれば、保育士の仕事は子供たちと体を使って遊ぶなど重労働で体を壊す人が多いですし子供の安全のために細心の注意を払ったり保護者に気を遣う必要もいろいろあって大変です。

とても手間がかかる大変な仕事です。

なので、給料を上げるべきということになりそうですね。

一方、「その2」の考え方によると、保育士のスキルを持っている人は多いので、保育士の給与を高くしなくてもいいという考え方に行きつきます。

堀江さんの考え方は「その2」的で、堀江さんに反対する人たちの考え方は「その1」に近い印象ですね。 

「その1」と「その2」で、実際にはどちらの考え方が正しいのか

この二つの考え方のどちらが正しいのかについて、人類は大きく2つに分かれて激しく対立していました。

局地的には、自分たちの正しさを証明するために殺し合いまでしたのです。

おわかりですね。

誤解を恐れずにざっくり言うと、その1は共産主義的な考え方で、その2は資本主義的な考え方です。

現実には、手間がかかっていないものでも、珍しいものには高値が付きます。

造幣局が貨幣を作るときに失敗した結果できるエラーコインなどは高値で取引されていますね。

何の手間もかかっていませんが、珍しい(=供給が少ない)という理由で高値になるのです。

逆に、どんなに手間がかかっていても、そもそもデザインがいまいちな洋服などは、需要がない(=買い手が少ない)という理由で、セールで捨て値で処分されたりします。

 

じゃあホリエモンは正しいの?

とはいっても、誰でもできる仕事だから給与が低くて当然という堀江さんの意見は若干乱暴でしょう。

というのも、「誰でもできる=誰にでもやってもらえる」というわけではないからです。

他にもっと楽で時給がいいバイトがあればそちらに流れますし、あまりにも割に合わなければ、そもそも仕事をせずに別のことをやるという選択もありうるからです。

一昔前は、3Kと言われる肉体労働に人が集まらず、大幅に時給を上げざるをえませんでした。

重労働で責任が重い仕事はみんなが避けますから、給与を上げていかなければ人が集まりません。

給与が上がらない本当の理由

結論から言うと、利用者(保護者)が高額の保育料を出せないからです。

保育士への需要は特に都市部ではものすごく大きいので、給与が上がっても良さそうなものですが、保育園は日常的に利用する施設なので、保護者が利用料として毎月数十万円も出すことは難しいです。

保育士の給与は利用者からの利用料から出ますので、当然、少なく抑えざるを得ないのです。

低い給与しか出せないにも拘わらず、保育士の個人的なやる気や自己犠牲によってなんとか成り立っていたという面が大きいのですね。 

習い事の月謝の決まり方に近い

このあたりは習い事の月謝の決まり方に似ているかもしれません。

月謝の額は、教え方のうまさやスキルのみで決まるわけではありません。

スポンサーである生徒さんがどこまでお金を出せるかで決まります。

スポンサーが会社ではなくて普通の個人だと、大した金額は出せません。

日本舞踊教室や書道教室などは、個人のお客さんがお金を出しますから、月額数千円から1万円程度が相場です。

一方、会社が社員のためにお金を出すような研修だと、相場が一桁跳ね上がります。

個人とは違って、会社の場合には、数十万円の費用を出せるのです。

 

事業所内保育や補助金による解決

大企業が保育園を設置するケースも増えてきました。

そういった園では、コストの負担は個人ではなく大企業になるので、保育士の給与も高額になるはずです。

また、国家が政策として、保育園へ補助金を助成することも増えてきました。

保育士の待遇改善に役立つはずです。

保育園利用者という個人ではなく、企業なり国家なりがスポンサーになるという解決策ですね。

保育士に特別なスキルがあればいいという意見は微妙

保育士が英語などの高度なスキルを身につければ差別化できて給与が上がるという意見もあります。

しかし、賛成できません。

一部の保育園が高所得者層向けに特化することで高い利益を上がられるかもしれませんが、根本的な解決にはなりません。

大半の利用者は、保育士がどんなに高いスキルを持っていても、保育所に相応の高い利用料を支払うことはできないからです。

保育所は多くの利用者にとって水や空気のような必需品、必須の生活インフラです。

手の届かない「特色たっぷりだが利用料高額」な保育所ばかりになったら、利用者は途方に暮れてしまうでしょう。

保護者も保育士に多くを求めるべきではない

保育士には少ない給与で無理をしてもらっているのですから、保護者も保育士に多くを求めない方がよいでしょう。

園内の手作りのきめ細かい装飾や詳細な手書きの連絡帳は温もりが感じられると喜ぶ保護者も多いですが、段違いに手間がかかり保育士の労働環境を悪化させる一因となっています。

もっとひどい例になると、保育士のプライベートな携帯電話番号を聞き出し、就業時間外に個別に相談を求めたりする保護者もいるといいます。

もちろん、そのような保護者も別途報酬を払うつもりはなく、タダ働き、無料特別サービスを期待してのことです。

ここまでいくと、保育士は本来はプライベートであるはずの就業後の時間や休暇の時間を根こそぎ奪われてしまい、人間らしい生活をすることも困難になります。

そういった特別サービスにしても本来ならば、相応のお金を払うのが筋です。

では、保護者から見て、それらのサービスについて相当の対価を支払ってでも欲しいものなのかどうか。

「保育士さんの善意で無料でやってもらえるなら受け取るが、お金を払ってまで必要とは思わない。」という人が多いのではないでしょうか。

ならば、保護者も保育士に多くを期待するのは止めましょう。

子どもたちの保育という崇高な行為のためだとして自分の生活を犠牲にしてまでも奉仕する保育士さんもいらっしゃるようですが、保護者側の間で、そういった保育士の善意に依存するのはよくないことであるという共通認識ができていくことが望ましいです。

保育所に限らず、安価に利用できる社会インフラをこれからも利用していくためには、従事者に自己犠牲ばかりを強いるべきではありません。

利用者の方もできるかぎり従事者に負担をかけないように、協力すべきところは協力する心がけが大切だと思います。

 

追伸・定期的にこの手の議論が巻き起こるので、後日、補足記事を書きました。 

yukionoyoudesu.hatenablog.com