状況が変わっても意見が常に統一されている人は信用できない

世の中には、

意見が深刻に対立している議論がたくさんあります。

 

「学歴必要論と学歴不要論の争い」もそうです。

 

最近は、「リベラル」と「保守」との間の論争が激化して、

日本の世論が分断されてしまっています。

 

世の中に生き残っている意見は、

どちらの立場のものであってもそれなりの根拠があります。


全面的に正しくはなくても、ある場面では正しいことが多いのです。

 

したがって、この手の議論は、

「どちらの意見が全面的に正しいのか」

というよりも、

「どんな場合にはどちらの意見が妥当なのか」

という問いに直した方がいいでしょう。

 

学生時代の数学でやったような

細かく「場合分け」していく発想ですね。

あるいは、結論は、「状況を変数とする関数」

で導くという発想と言い換えることもできます。

 

中学や高校程度の数学であっても

知っておくメリットは、

こういう時に出てくるわけですね。

 

ただ、世の中のコメンテーターを見ていると、

こういう発想をしている人は少ないです。

むしろ、どちらか一つに意見なり結論を固めて、

そのあとで根拠を探している人の方が圧倒的に多い。

その方が視聴者にわかりやすいですからね。

 

残念なことに、

自分の意見を場面場面でコロコロ変えてしまう人は、

発言に一貫性がないとして、

世の中から信用されにくい傾向があります。

 

また、特に政治について言えるのですが、

場面ごとにリベラル、保守、

それぞれ是々非々で立場を選択してしまうと、

左右双方から総攻撃を受け、

攻撃を受けても誰からも庇ってもらえないという

悲惨な状態になってしまうリスクもあります。

 

しかし、君子豹変すということわざがあるとおり、

本当に物事をしっかり考えれば、

どちらかの意見で統一されるなんてことはないはずなんですよね。