米倉涼子さんのオスカー退社に思うこと

米倉涼子がオスカーを退社した。

稼ぎ頭だからオスカーのダメージも大きいだろう。

どうやら社長の娘婿とうまく行っていないようだという声がある。

米倉涼子の他にも会社を去った人は多いとのことである。

 

SMAP解散ジャニーズ事務所脱退の時もそうだったのだが、芸能プロダクションは、創業者社長が引退するにあたり、身内に跡を継がそうとして躓いてしまうケースが多いようだ。

 

これが一般の会社だったらどうだろう(ここからはオスカーやジャニーズ事務所を離れた一般論である)。

創業者社長が一代で会社を大きくしたが子供に社長の器がない場合、どうすればいいのか。

 

一番合理的なのは、やはり今まで頑張ってきた有能な会社の生え抜き社員を後継者にすることだろう。

実は、この方法が社長の子供にとってもプラスになるのである。

 

なぜなら、会社の経営権は優秀な生え抜き社員に譲ったとしても、会社のオーナーとしての権利は、社長の相続人である子供が受け継ぐからである。

後継の社長が会社をうまく成長させて利益をドンドン上げていけばいくほど、オーナーとなった子供は儲かるようになっている。

会社も繁栄する。

創業者社長の子供たちも(能力に関係なく)経済的に潤う。

WinWinなのである。

 

一方、創業者社長が引退後、オーナーとしての権利だけではなく会社を経営する権利自体を(社長の器ではない)子供に受け継がせてしまうと、大変である。

往々にして子供が会社をつぶしてしまい、結局、その子供自身も路頭に迷うことになるのである。

 

利益やオーナーとしての権限は親族に、会社の経営権は(血縁がなくても)有能なものに受け継がせる、これが一番合理的であり、誰にとってもプラスになるのである。

コロナはバカを可視化する

コロナでの営業自粛で、休業補償について声を上げると、ネットでは命が一番大切とか、経営が困るのは自己責任とか補償に頼らず自分で何とかすべきという声がすぐに上がる。

 

しかし、一番やばそうなのは満員電車である。

なんといっても日本国民の大半はサラリーマンなのでサラリーマンの出社制限が一番効果が出るはずである。

だから、上の声に従えば、サラリーマンの通勤を一律で禁止して自宅待機してもらい、後は、(国による補償は当てにせず)会社に何とかしてもらうか、自分の貯金で何とかすべきということになる。

 

しかし、この意見に賛成できるサラリーマンは少数であろう。

自分の生活が困るからだ。

 

基本的にほとんどの人は、他人が経済的に困窮して野垂れ死にしようが気にしない(むしろ自分以外の人に補償が出るぐらいならその人には死んで欲しいと願うぐらい)のだが、自分に損失が降りかかると怒り狂うのである。

 

ほとんどの人間は自分に甘く他人に異常に厳しい。

 

ネットによりバカが可視化されたという表現はよく聞く。

正確には、国民の大半がバカであることが可視化されたというべきであろう(俺も含めて)。

コロナでも生活保護者に現金支給するなという主張

コロナ騒動で経済が停滞し生活困窮者が出ていることから、国民に現金を一律支給する案が出ている。

しかし、ベストセラー作家の百田尚樹さんは、生活保護受給者には現金支給するなという主張をした。

これ自体、ぎょっとするような主張ではあるが、よくよく聞いてみると百田さんなりの理由はあるようだ。

百田さんに言わせると、コロナで現金支給するのは生活保障をするためのところ、生活保護受給者は収入が減らないので支給の必要がないという。

そして、公務員なども同様に収入減少はないので現金の支給はするなと述べている。

 

なるほど。

 

私も趣旨にはおおむね同意なのだが、なぜ「現金支給は収入減少がありそうな人達に限定すべき」という無難な言い方にしないのか。

生活保護者」を例として挙げることが必要なのだろうか。

それは、やはり「生活保護者を排除!」的なセンセーショナルな言い方の方がインパクトや訴求力があるからだろう。

しかし、マスコミやら一部の作家って、面白さやインパクトばかりを狙って副作用のことを全然考えていないですね。

名指しされた生活保護者の人たちの自尊感情がどれだけ傷つくのかについて、全然配慮していないし、生活保護者のことはサンドバッグにしてもいいと思っているのだろうか。

 

マスコミが「トイレットペーパーの在庫はあります。買い占めは止めましょう。」といいつつ、絵的に面白いから空の棚を映すという行動に出るのに似ている。

視聴者がテレビで空の棚を見た結果、トイレットペーパーの買い占めが進んでしまうのである。

マスコミ関係者の本能なのだろうな。

絵面や字面重視で、自分の言葉からどういう副作用が生じるのかを全く考えていない。

浅はかである。

 

また、収入減少がないことを理由に生活保護受給者に支給しないのなら、年金受給者や(休業中でもいつも通り給与が支給されるであろう)大企業の従業員についても、支給はやめるべきということになる。

もともと収入がなかった専業主婦へも現金を支給すべきではないということになるだろう。

また、中小企業の従業員でも、実際に収入が減るのかどうかはケースバイケースである。

後から納税記録などを見て、コロナ騒動後も収入減少がなかったと判明した場合には、いったん支給した現金を後から政府へ返還させるべきということになる。

なにしろ、収入減少がない人へ支給すべきではないという主張なのだから。

 

しかし、こんな細かいことを実務的にやれるのだろうか。

それとも、形式的にわかりやすい生活保護者と公務員だけを排除すべきとでもいうのだろうか?

百田さんは話は面白いし勘もいい人だと思うのだが、やはり実務家ではないのだな。

 

追伸

自民党の小野田美紀議員は現金支給は日本国籍に限るべきと主張しているらしい。

しかし、これは実に頓珍漢な主張である。

外国籍であっても日本人同様に税金は納めているし、収入減少がありうるのは日本人と一緒。

なので、小野田の主張はほとんど受け狙い以上の意味はなく、実務的にも行政で採用される可能性はゼロである。

小野田という人がいままでまともな主張をしたという記憶は一度もないのだが、今回もひどいものである。

一部のリベラルが小野田と百田の発言を同列扱いにしているが、さすがにこんなのと一緒にされたら、百田氏が気の毒である。

 

 

 

 

何で和牛の商品券?

コロナウイルスで困っている国民を救済する策として、国民に対して現金を配る案の他、和牛などの商品券を配る案も出ています。

それにしても、和牛の商品券っていったい何よ?

国民が求めているのは、それじゃないでしょうよ。

与党議員は、業界に甘い汁を吸わせて見返りに利益を得たりするわけですか?

つまり、日本の苦境を利用して政治家が金儲けする気満々こと?
それじゃあ、マスクの転売ヤーとか便乗値上げする輩と変わらないですよね。

 

業界の方もそんなのは、断った方がいいですよ。

震災時に便乗値上げして消費者の信頼を失って潰れた店とかあるじゃないですか?

こんな策に安易に乗ったら国民からの恨み買いまくって、業界全体の信頼性がぶっ飛びかねないと思いますよ。

 

トリエンナーレへの補助金交付を法学部卒が考える

先日、トリエンナーレへの補助金交付が再開されるとのニュースがあった。

いわゆるリベラルの多くはこの決定を歓迎するだろうし、保守側は、税金を反日的展示に使うなんて何事だ!という反応が多いだろう。

 

私見だけど、芸術などに補助金を出すと決めたら、(公人でも何でもない一般市民への名誉棄損や脅迫的表現のように展示自体が犯罪になるような場合を除き)行政は中身を一切見ないというスタンスが最も法律的な思考に忠実なのではないだろうか。

 

芸術への補助金交付はインフラ整備のようなものである。

税金使ってインフラ整備された道路があったとして、その道路は反日本政府的な立場の人も含めて、政治的スタンスはどうであれ、住民は自由に使えるはずである。

普段、日本に対して非常に厳しい表現をしている左翼側の論客であっても、国立病院や公共の図書館は自由に使えるはずである。

 

同様に、芸術への補助金も一種のインフラなのだから、誰でも利用可能なはずだ。

したがって、どんなに保守側からの苦情が行政や施設側に殺到しても、「我々は展示の中身は一切関与していませんので文句があるなら主催者側に言ってください。それじゃあ。」とだけいってガチャ切りすれば十分だし、あまりにしつこいようであれば業務妨害で警察に被害届を出せばいいのだ。

 

これが私の意見である。

とはいっても、リベラルの味方をしているわけではない。

この方針を徹底するのであれば、リベラル側にとって見たくもないような展示を保守側がした場合、行政は、中身を一切見ることなく補助金を出すということになる。

リベラル側からの苦情についても、行政は「我々は展示の中身は一切関与していませんので文句があるなら主催者側に言ってください。それじゃあ。」とだけいってガチャ切りすればいいということになるだろう。

 

 

 

 

オタクと保守

かつての漫画やアニメなどのサブカルリエーターの世界では、リベラルな傾向が強かったですね。

手塚治虫宮崎駿反戦の立場に立っていましたし、ガンダムの基本テーマもそうでした。

それが、今やオタクの世界は保守だらけ。

SNSアニメアイコンの人がリベラル的良識を示すと、希少性を感じるぐらいです。

 

なぜ、アニメオタクは保守だらけになってしまったのか。

現政権の安倍さんや麻生さんが有権者マーケティング戦略的にアニメファンを支持層に取り込んだとか、リベラル側、特にフェミニズムがアニメの自由な創作と相性が悪いのでアニメファンとの関係が悪くなったということがよく指摘されています。

そういう理由もあるでしょう。

それに加えて、コンテンツの演出や作画などの技術そのものが発達しすぎて、テーマ性とコンテンツが切り離されてしまったことも挙げられます。

 

ガンダムあたりまではギリギリ、作り手がアニメや漫画以外の小説や映画から栄養分を得ていました。

昔の作り手からは、分厚い教養を感じさせられたものです。

かつては、日活でポルノ映画を作っている人たちが、ドストエフスキーを愛読していたようなことも珍しくなかったわけですから。

 

それが、マクロス世代やエヴァ世代になると、「アニメの作り手がアニメから学ぶ」傾向が強まりました。

作り手が本をあまり読まなくなり、サブカル世界の中で自己完結するようになりました。

反戦やリベラルな思想そのものを先行するアニメから学ぶわけです。

以前の世代だったら、反戦なりリベラルなりの思想を、読みづらい本を忍耐強く読んで咀嚼しながら身につけたわけです。

しかし、「アニメから学ぶ」世代になると、そういった思想も、感動を盛り上げたり情緒を激しく動かすような高度な演出技術とともに入ってきます。

離乳食のようなものです。

そうなると必然的に、語る内容よりも、語る方法論の方が圧倒的に重要になるわけです。テーマよりもコンテンツのクオリティこそが正義の時代の到来ですね。

 

なので、近年のアニメなどで反戦やリベラル思想が語られていたとしても、作り手が本気でそういった立場を尊重しているわけではない。

作り手がむしろ保守であるケースが増えていると思われます。

 

保守である作り手がなぜ反戦やリベラルを作品中で語るのか。

それは、反戦やリベラル思想を前提とした演出だったり場面だったりが、過去のアニメ作品の中に膨大に蓄積されているからです。

なので、保守であっても、反戦やリベラルをテーマにする方が、作品をずっと作りやすいわけです。

その結果、ド直球の右の作り手が、ビジネスとしてリベラルっぽい作品を量産するという珍現象が普通になります。

 

そのように考えるようになってからは、「このアニメ、リベラルっぽいことを言っていても、コンテンツを盛り上げるためのお作法に過ぎないのではないか?」「演出技法としてのリベラリズムを消費しているだけではないか?」などと、極めて冷めた目でしかアニメを見られなくなってしまいました。

菊池桃子さんの再婚のニュースに「結婚で大事なのは経済力」とかいう人のオツム

今から26年ほど前の話だが、埼玉大学学長の誘拐事件があった。

誘拐目的は身代金。

犯人は、「国立絵大学の学長だから金持っているはずだ」と思ったらしい。

この犯人に対して、ビートたけしが「バカな連中だな。」だとダメ出しをしまくっていた。

「国立大学の教員なんて、名誉職。金目当てなら不動産会社の社長の方がずっと金持っているだろ。こいつらの頭の中には何が詰まっているのか。」と嘆いていた。

同感である。

 

あまり賢くない人たちは、どうも、「エリート=金持ち」だと思っているらしい。

だから、菊池桃子さんが超エリート官僚と結婚したと聞いて、なおかつ、相手の方がそこまでイケメンではないのを見て「やっぱり経済力なのか。」と判断してしまう人たちがたくさん出てくるんだよね。

この人たちが男を選ぶ価値観は、イケメンかどうか、お金持ちかどうかの二点しかないらしい。

 

学生時代にバイトをしたことがある人ならわかるだろうが、バイト先で一番もてる男子は、ずばり「仕事ができるやつ」である。

「仕事ができるやつ」は堂々としており、強い責任感とリーダーシップを発揮し、仲間からの信頼が厚い。

繁忙期でこりゃダメだというピンチでも、そいつがいるだけで、なんとかなると思えてしまう。

男の俺から見ても惚れそうになるのだから、当然、女性からもモテまくる。

実際、職場で一番かわいい子と付き合ったりしていることも多い。

 

今回の菊池さんの場合も同じではないだろうか。

 

今回のお相手の方クラスの官僚の年収はおそらく2000万円前後。

退職金等、これからの年収も数億円になる可能性もある。

もちろん、一般の基準で言えば申し分ない相手だ。

 

しかし、菊池桃子さんが、経済力目当ての結婚をしようとするなら、年収数億~数十億の実業家とでも結婚できたと思う。

あるいは、すでに都心に高額の不動産をいくつも持つ資産家とでも。

富裕層の中にも菊池さんのファンはかなり多いはずだ。

 

 

しかし、菊池さんは、そうはしなかった。

お相手の方が、尊敬できる人だったからじゃないかな。


菊池さん自身も勉強家で大学院に行ったり、政府の要請で公的な立場から政策提言するような仕事もしていた。

したがって、今回のお相手がいかに仕事ができるのか、どれほどの深い知識や教養を持っているのかを理解できる目を持っていた。

しかも今回のお相手の方は、安倍政権の労働政策立案の要といわれるぐらいで、日本に同等の人はそれほどいないほどの超エキスパートらしい。

 

流石にここまで仕事ができるようになるのは難しいだろうけど、我々だってできることはあるはず。

「所詮、男は顔か収入」などと腐る暇があったら、スキルを磨き、職場で輝けるように頑張った方がいい。