「いい人」とは、「自分にとっていい人」のことです

武勇伝を持った2人

ゆげしまの出身高校は進学校というほど優秀でもありませんが、大学進学率はまあまあ高いという、実に中途半端な学校でした。

ヤンキーや不良の類は少なく、学内もおおむね平和です。

ただ、そんなへなちょこな学校でも、同じ学年に、とんでもなく喧嘩が強くて他校のヤンキーを一発で倒したとか複数人相手でも喧嘩に勝ったという武勇伝を持ったやつが2人いました。

その手の武勇伝というのは誇張されたものが多いのですが、その2人は外見からして、普通の男子高校生とは全く違うのです。

身体のボリュームというか、筋肉の量が普通の人と全然違う。

むしろ、一目見てやばそうなこの人たちに喧嘩を売った他校のヤンキーの方こそ武勇伝だわ、と思いました

S君とI君

一人をS君、もう一人をI君とします。

この二人、性格は真逆です。

S君は学業成績も優秀で、穏やかな人格者との評判です。

学校の先生たちからの評価も高いです。

一方のI君はやんちゃというか、性格にムラっ気があって、学校もよくさぼります。

うちの学校では、ほとんどの同級生がS君を尊敬していました。

一方、I君に関しては若干、ネタ扱いでした(さすがに本人の前で言ったらぶっ飛ばされますが)。

ゆげしまは、I君とはクラスが同じだったこともあり、仲良くしていました。

ゆげしまはオタクでしたが、I君も結構、濃いオタクな部分があったというのもでかいです。

ガンダムの話になると何時間でもいけるという方でした。

確かに性格にムラっ気はありましたが、愛嬌もあって、いい思い出しかないですね。

一方、S君とは同じクラスになったことはなく、接点もありません。

S君との接点は一度だけあります。

しかも、あまりいい思い出ではないのです。

S君との苦い思い出

高校1年生の1学期、ゆげしまが満杯に近くなった学校の駐輪場で、自転車を入れられるスペースを探していました。

後ろから突然、自転車のベルを鳴らされたことがありました。

駐輪場の周囲の通路は細いため、後ろを走行していた自転車が鳴らしたのです。

振り向くと、急いでいてイライラしたS君が、「何をとろとろしているんだ、このバカ!」と私に罵声を浴びせてきました。

S君との接点は、それだけです。

高校入学から間もない頃だったので、その時、私もS君も、お互いに知らなかったはずです。

S君のことは後で知りました。

「いい人」かどうかは自分で決めていい

なので、周囲がどんなにS君を評価していても、ゆげしまからみれば、面識のない相手を罵倒するような人がいい人であるという実感は持てませんでした。

その後、仲の良いクラスメートが私に対してS君の武勇伝を誇らしげに語るときも、私は笑顔で聞くだけでした。

ただ、自分を罵倒した人がみんなの人気者というシチュエーションは、それなりに辛いものがあるんだなということは、その時に実感をしました。

みんなにとって「いい人」であっても、「自分にとっていい人」でないのなら、無理に周りの評価を受け入れる必要はないのですね。