知識や技術なしに面白いトークは成り立つのか

最近は、ネット記事や本などの媒体で、
業界人が面白いトークや話の作り方などのノウハウを
惜しげもなく公開してくれるようになりました。

 

ゆげしまはそういう話を読むのが好きです。

 

まあ、所詮は下手の横好きで、
いまいち習得できていないのは、
このブログを読めば一目瞭然ですが(汗)。

 

ところで、

そういうノウハウが公開されるたびに、
「そういうことをいちいち考えて話していたら面白くない」
と批判する声があがあがります。

 

確かに、我々のような普通一般人は、
いちいち考えて話さないことが多いですよね。

 

なので、これはまだいいとして、
聞き捨てならないのが、次のような批判です。

 

「面白いかどうかは
話をする人のセンスの問題で
技術とは無関係である」

 

いやー、プロに限って言えば、

面白い話を明らかに技術で作っているでしょう。

 

映画でもドラマでも笑いでも、
才能ある人たちが考えに考え抜いて、
めちゃめちゃ計算づくで
脚本とかを作り込んでいますよね。

  

確かに、我々の周囲にも、
プロじゃなくても話が面白い人もいます。

 

そういう人たちがみな、
プロのように計算づくで話を

作っているわけではありません。

そこは認めます。

 

ただ、多くの場合、技術なしで通用するのは、
仲間内だけだったりします。

 

身内は優しいですからね。

完成度が低いものでも大絶賛してくれます。


実際、ゆげしまのブログでも、
身内は面白いと喜んでくれています(汗)

 

しかし、仲間内で笑いの才能があると絶賛された人たちが、
調子に乗って、小さなライブなどで

全く面識のない人たちにトークを披露したら、
お葬式のように無反応だったというのは
よく聞く話です。

 

想像するだけで怖いですね。

 

まあ、確かに、プロじゃないのに、
話を作る技術を学んでいるわけではないのに、
トークがうまい人は確かにいます。

 

ただ、そういう人も自分のセンスだけで

勝負しているのではなく、

プロの話の作り方のパターンを

無意識に習得して、

上手に使いこなしていたりするんですよね。

 

勘の良い人、器用な人は、

プロのトークをめちゃくちゃ見ることで、

プロが作った話の「型」を頭の中に

インプットできたりしますから。

 

そもそも、我々は、いくらセンスがあっても
予備知識なしでは、1人で

ラジオのような簡単な機械すら
作ることができません。

 

知識なしに、適当に土をこね繰り返して
ちゃんと発火するマッチ棒を作ることも

できません。

 

それなのに、なぜ、トークだけは、

知識や技術なしで行けると思うのでしょうか。

 

プロの作品は人生がかかっており、

多くの人たちの生活を支え、

スポンサーがつき、

動くお金も大きいのです。

 

工業製品と同じです。

 

彼らのトークが計算もせずに、

感覚やセンスだけで作られている

はずがありません。

 

プロが作品を作る場合には、
建築物を設計するのに匹敵するほどの

労力が注ぎ込まれているはずなのです。

 

もっとも、技術やスキルがあっても

簡単に話を作れるようになったり

トークがうまくははならないところが

つらいところです。

 

仕方ないですよね。

物理や工学の知識を習得して

建築物を作るのも、そうそう

簡単ではないですから。

 

トークを作り込むのも同じように

簡単ではないはずです。

 

うんうんとうなって、

脳みそ振り絞って、

風呂に入っているときも考え続けて、

そうしてようやくいいものが

生み出されたりするのでしょう。