eスポーツ(esports)への違和感について

eスポーツを部活動に導入する高校があるらしいですね。

導入を検討するにあたっては、一部の教員から「学校で堂々とゲームをするのはふさわしくない」といった理由での反対もあるようです。

正直に言います。

私自身も直感的に、「ゲームが部活動?」と違和感を持ってしまいました。
スミマセン。

あそびみたいなことを部活動でやるのか?とも思ってしまいました。
ゴメンナサイ。

しかし、よく考えれば私の違和感の方がおかしいのですよね。

野球やサッカーなどのスポーツでも吹奏楽でも、もともとは何らかの実用目的ではなく、楽しみのために生まれたものですよね。

野球も明治時代に日本に導入されましたが、当時はその意義が理解されにくかったのですね。

「棒切れや玉を使った遊戯?大の男がやるようなことか?」という感じだったでしょう。

そこで、例えば、「1アウト=一死」、「ダブルプレー=併殺」として、「死」や「殺」などの用語を用いて侍同士の命を懸けた真剣勝負をイメージさせたんですね。

そうやって、受け入れやすくした経緯があるのです。

言葉によるだましみたいなものです。

しかし、野球が日本に定着したことは、振り返ってみればとても素晴らしい成果をもたらしましたよね。

元々は楽しみのために生み出されたものであっても、向上心を持って取り組むのであれば、上手くなるための工夫は欠かせないでしょう。

また、繰り返し練習して努力することで、成長もできるわけです。

そうやって野球も、青春や人生をかけるにふさわしい競技とみなされ定着したわけです。

今では、野球が存在しない社会なんて想像できないですね。

eスポーツについても、「なんだ?遊びじゃないか。」と思っている人もいるでしょうが、向上心を持って取り組めば、通常のスポーツや吹奏楽と何ら変わりはないのかもしれません。

実際、上位にいるようなプレイヤーは膨大なメモを取りながら詳細な分析をするなど、研究を欠かさないようですし、必要なスキルをあぶりだしては何度も練習して身につける努力をしています。

まあ、そこまで行ってしまうと、楽しくはなくなるのかもしれませんが。


他には、部活動とはこういうものであるという「部活動らしさ」についてのイメージが人によって大きく違うから混乱するというのもあるのでしょうね。

従来からの「部活動らしさ」にとらわれてしまうと、受け入れがたいものがあるのかもしれません。

(特に昔の運動部では)水を飲まないで練習させるとか、体力の限界まで鍛えるといった経験が尊いとされてきました。

そういった世界を全否定するつもりはありません。

しかし、部活動の効用って、それだけじゃないですよね。

同級生と親睦を深めあってコミュニケーションをとるというのも立派な部活動の役割だと思うのですね。

今の若い世代って、親睦を深めるためのツールとしてゲームを利用していますからね。

 

ただ、一つだけ、留保したい点があります。

ゲームを「スポーツ」と称してしまったところですね。

スポーツと称することで、大会やランキング方式、賞金など、分かりやすいスポーツのフォーマットを借用するメリットはあるのでしょう。

ただ、「eスポーツ」という名称では、スポーツに準じる競技という「格落ち」的なニュアンスが出てしまうようにも思えます。

全世界でヒットしているゲームであれば競技人口は今までにない規模になりえます。

また、VRとか次々と新しい技術が誕生・導入されれば、ゲーム競技は、スポーツすら超えた、今まで見たことがない全く新しい巨大な存在になる可能性もあると思うのですね。

「スポーツ」に絡めた名称がマーケティング的に吉と出るか凶と出るか。

 

野球に「死」とか「殺」という用語を入れて戦場での真剣勝負に寄せた明治期のマーケティングは大成功でした。

一方、ゲームをスポーツに寄せる現代のマーケティングが果たして上手くいくのかどうか。

 

そこだけは未だに引っかかるというのが正直なところです。