かわいそうなビーグル犬
知人の医師が医学生だったころの話である。
医学部では犬が飼われていた。
とはいってもペットとして飼われているわけでなく、持って回った言い方をすれば、医学の進歩のために飼われているのである。
研究室にいる教員や学生たちから特にかわいがられることもない。
しかし、その大学では、解剖のために安楽死させることが決まった犬だけは、その前日、学生たちと思いっきり遊ぶという決まりになっていたらしい。
愛玩用のために飼われている犬とは違い、解剖用の犬に強い愛情が注がれることはない。
淡々と世話をされるだけである。
運命が決まっている以上、世話をする者からしても、必要以上に愛情を注ぐと、余計に辛いことになるからというのもあるのかもしれない。
しかし、解剖用の犬だって愛玩用の犬と同じなのである。
檻から出された犬は、喜びを抑えきれずに大きな声で鳴いて、走り回る。
ものすごい勢いで医学部棟の裏庭を走るのだが、一緒に遊んでくれる学生たちがちゃんと自分についてきてくれているのかどうか気になって仕方がないらしく、何度も振り返る。
今まで遊べなかった分を取り返すかのように、興奮して前足を医学生たちに突き出して後ろ足で立つ。
しかし、そんな時間は一日だけなのだ。
翌日、安楽死させられるその寸前には、どの犬も不思議と自分のおかれた運命をはっきりと悟るのだ。
だが、それでも、必死に暴れて人間に抵抗するようなことはない。
その代わり、人間に向かって助けをもとめるような、お願いするような、何ともいえない鳴き声を絞り出すのである。
当然、医学生たちの精神的なダメージは大きい。
終わった後、学生たちは押し黙っている。
動物実験や動物の解剖に反対する外国のデモのニュースを見たことがある。
デモの参加者に対して、中年男性が涙を浮かべながら、「俺の子供はいつ死んでもおかしくない難病なんだ。動物もかわいそうかもしれないが、人の命よりも大切ってことはないだろう!」と声を荒げ抗議をしていた。
知人が医学生だったのは、だいぶ昔のことである。
今後はどうなっていくんだろう。