酒を飲んでは「おでん」を買ってくる父
私の両親、特に父親の話をしてみたい。
私の母が初めて父親と出会ったとき、父は有名な新聞社から仕事を請け負うカメラマンであった。
有名私大卒であり、給料も高かった。
私の母は手に職があって、収入もあったが、中卒であった。
そのせいか、母は学歴の高い男性に非常に弱いところがあった。
父の出た大学も冷静に考えれば、有名ではあるが一流大学というわけではなかった。
しかし、母は「こんなに頭のいい人が自分を相手にしてくれるんだ!」と舞い上がった。
こんな母を浅はかだと笑うのは容易である。
父からしても、母は一回り若かった。
当時の母のような若い女性から思いを寄せられるのは、父にとってもまんざらではなかったはずだ。
そんな二人が結婚するのも時間の問題であった。
結婚してしばらくすると、母は独立して店を持ち、より高い収入を得るようになった。
だが母の収入アップと反比例するように、父はだらだらとして働かなくなった。
おまけに、父は酒のみで大の競馬マニアであった。
今から思うとカメラマンというのもウソだったのかもしれない。
いや、非常に大きく高そうな望遠レンズを何本も持っていたので、カメラマンをしていたということ自体は嘘八百というわけではないだろう。
有名な新聞社からの仕事をしているという部分については、話を盛っているのかもしれない。
父は熱心な赤旗新聞の読者であり、難しい本もよく購入していたようだ。
政治や世界情勢の話もよくしていたようなので、当時としては、まあインテリの方だったのかもしれない。
しかし、高そうな望遠レンズも、購入した書籍も、質屋で換金され、父が馬券を購入する費用に消えた。
母が私の弟を出産したときなどは、退院時に払わなければいけない入院費用を父はもって競馬場に行き、全部馬券代に使った。
まあ、私の父親はそういうやつであった。
結局、父親のだらしない性格のせいで両親が離婚することになったのだが、離婚するまで、私と弟は母よりも父に懐いていた。
母ときたら、年中イライラして、父に怒鳴り散らしているのに、父の方は子供の機嫌を取るのがうまく、私を肩車して、よく公園やらあちこちに遊びに連れて行ってくれた。
母にとっては悲劇だろう。
母にはよく叱られたが、父からは叱られたとか殴られた記憶は全くない。
ある日、母の指輪を質に入れた金で父は酒を飲みに行った。
母にとっては、親族の形見の大事な指輪である。
指輪がなくなっているのを知った母の顔は青ざめ、唇はワナワナと震えていた(その後、母は指輪や貴金属を見えないところに隠すようになった)。
父親はしこたま飲んで泥酔状態で帰ってきた。
案の定、修羅場になった。
しかし、私と弟はご機嫌であった。
なぜなら、父が買ってきてくれた土産の「おでん」があったからである。
父は飲みに行くと、いつもこういったお土産を買ってきてごまかそうとするのだが、かえって母の怒りの火に油を注ぐのである。
母としては、やりきれなかっただろうと思う。
なにしろ、私が無邪気に貪り食っているそのおでんの出どころも、母の指輪ですからねえ・・・
「ほら、お前も食え」
そういって父が母に差し出したおでんを、母は思いっきり手で叩き落し、ぶちまけた。