自己中宣言
酒を飲むたびに、どう生きるべきとか、夢を持つべきとか、何が正義だとか、そういうお説教をする先輩や上司、同僚、友達がいたら、もう、一緒に酒を飲みたくないと思います。
そういう飲み会は理由をつけて断ります。
先日、あるアルファブロガーの方がされているyoutube動画を見ました。
その動画では、目的達成に沿わない情報について大胆にカットすることや、自分の生活との関係が薄い政治問題や社会問題についての情報は切り捨てることを勧めていました。
ずいぶんと割り切った物言いです。
政治問題に関心がない人でも、「難しい問題ですね」とか、「自分にはよくわからないので」ぐらいの曖昧な言い方でかわすのが普通ですからね。
そこを、「自分には無関係なのでどうでもいい」と言い切ってしまっている。
一見、自分は自己中なんだと宣言しているようなものです。
しかし、これこそが誠実なアドバイスだと思います。
思えば、私も、同年代との飲み会に行っても、そこで出る話題は、ひたすら、ああでもないこうでもない、これが正しい生き方だ、こんな世の中は間違っていると、世間で起きたことや他人についての評論ばかりです。
同じようなメンツで、同じようなルーティンな会話をした後に、会計を済ます。
強いマンネリ感、閉塞感を持つようになっていました。
そうやって何も変わることなく、歳を重ねていくのです。
私が見たYouTube動画が伝えたかったのは、自分自身の目的なり願望を達成することに全力を向けろ、大切なのは、目的達成のための手段であるということなのです。
まあ、意地悪な見方をしてしまうと、YouTube動画を作った人も、視聴者から「この人はきれいごとや建前を一切言わない、本音しか言わないんだ」という信頼を得るための一種のセルフ・ブランディングをしているのかもしれません。
ただ、仮にそういった計算があるとしても、視聴者に対して「何が正しいのか」とか「正義はどこにある」にはあえて触れずに、「どうやればいいのか」だけを伝える態度は誠実だと思います。
漫画家の板垣恵介先生風に言うと、自分自身の願望や目的がある以上は、それを達成する手段以外のあらゆるお題目や要素は不純物や邪念に過ぎないということです。
もちろん、そうはいっても、人間には感情や共感力がありますので、自分に利害がなくても悲惨なニュースや不公平に接すると、スイッチが入って情動が動かされるようにできています。
私も、ひどい事件があると頭に来たり、同情したりしてしまいます。
完全に無関心になることの方がずっと難しいのです。
私が凡人たるゆえんでしょう。
したがって、目標達成に無関係なものを一切排除する姿勢は、(特に私のような凡人にとっては)意識して作りあげなければいけません。
「ドラゴン桜」で有名な三田紀房先生に「インベスターZ」という作品があります。
この漫画の終盤に、高校1年生の主人公が、「夢を持て」という大人に対する強い反感を明らかにするシーンがあります。
主人公が欲しがっているのは「成功した具体例(ノウハウ)」であって、「夢を持てというお説教」ではないのですね。
考えてみれば、自分が大学受験生だったころ、浪人だったころは、大学に合格するという目的のことだけを考えていました。
自己中かもしれませんが、純粋でした。
それが、大人になり、社会に出るうちに、徐々に、きれいごとや建前に逃げるようになりました。
良くも悪くも「枯れて」しまったのだなあと思います。
これでは、目的達成の手段だけを考えて向けてブルドーザーのように凄まじい活動量をこなす人たちに勝てるわけがありません。
というわけで、いままで惰性で行っていたような飲み会については、今後は、できる限り理由をつけて断ります。