新元号に対する意識高い?人たちの反応と冷静な国民のリアクション

元号「令和」が一昨日発表されました。

第一印象は、「レイワ」という音の響きがきれいだなというものでした。

「平成」が発表されたときには、「へいせい」という音になんともいえない脱力感が漂っているように思え、慣れるのにちょっとだけ時間がかかりました。

その時と比べれば、断然いいじゃん!と思います。

もっとも、発表された一昨日は寒かったこともあって、「令」が若干「冷」を連想させて、もうちょっと暖かさを感じる年号の方が良かったかなと、ほんの一瞬だけ思いました。

まあ、実に、どうでもいい感想ですね。

世間でも、新元号に対しては、おおむね好意的なようです。


もっとも、予想通り、意識の高い?人たちがあれこれと批判をしています。

特に一部のリベラルの方たちの間では、元号そのものに拒否反応を持つ方、命令の「令」について権威主義的であると批判する方が多いようです。

更には、元号を喜んだりその話題に熱中する国民全体にいら立っている方たちも少なからずいます。

国民が政府にまんまと煽動されてしまっているかのようなことを言う人たちまでいます。

まあ、リベラルの一部の方々からのこういった反応も、予想通りって感じですけどね。


ただ、国民って、そこまで安易に政府がコントロールできる存在じゃないと思うんですよね。

リベラルやインテリが考えている以上に、バランス感覚があると思います。


例えば、政府を熱心に応援しているような方々は、「中国 VS 日本」という構図から、今回の元号は中国の古典ではなく万葉集からの引用であったことを強調していたりします。

保守論客の中にも、今や日本こそが中国以上に漢字を使いこなしているのだ!などと誇らしげにいう方もいました。

しかし、ヤフーなどのコメントを見ると、こういった日本万歳をそのまま受け止めているような人は少数ですね。

ヤフーのコメントは保守寄りの傾向が強いのですが、それでも多くの人たちは、「漢籍から万葉集が影響を受け、今回の元号として花開いた」という受け止め方のようです。

古代中国の文化と日本の伝統を特に対立させることなく、自然な形で受容しているように思いました。

一部のリベラルが考えている以上に、国民のバランス感覚は良いと思うのですね。


もう一つ、興味深いことがありました。

元号発表の日に外務省が「今後は西暦による運用に切り替える」という方針を発表したのです。

それに対して、保守系コメンテーターの某竹田氏が苦言を呈し、その日の夜に政府筋から外務省に対して「元号を使うことは大した負担にはならないはずだから行政機関は元号を使うことが望ましい」との牽制がありました。

叱られた外務省は一気にトーンダウンしてしまいました。

そして、元号を西暦と併用するなどと言いだしました。


で、この件についてのヤフコメの反応はと言うと・・・

 

これが意外にも、外務省に横やりを入れた政府側に批判的な声が多かったのでした。

現場に煩雑な事務処理を強いてまで元号の使用を強制するなということなのです。

日本国民の内面には、「新元号いいじゃん」という感覚と「現場から遠いところにいる連中が元号使えとか現場に口出してかき乱すなよ」という感覚がちゃんと共存しているんですよね。


リベラルの一部の方々が考えているよりも、国民はずっと冷静だと思います。