大学受験のときに勉強したことは今どのぐらい役に立っているのか?
わたしも遠い昔、大学受験を経験した。
浪人までした。
浪人の時に通っていた予備校では、予備校講師から「大学受験で君たちが学んでいることは無駄にはならない。だから迷うことなく一生懸命勉強するように。」などといわれたものである。
確かに、一流の予備校講師たちの講義や話術は実に素晴らしかったし、一度は堪能しておくべきだとは思う。
ただ、彼らが言うことが本当なのかどうかは別の話である。
私も、社会人になって長い。
今振り返ってみて、予備校講師が言っていたことが実際に正しかったのか検証してみたい。
わたしは結局私立文系の大学に進学した。
だが、理系の人とも結構話す機会があるので、理系の事情も多少は分かるつもりである。
理系に関しては大学受験での勉強は無駄ではないだろう。
それどころか、大学受験の時に身につけた知識や理解は、将来にわたって糧になる。
通訳にとっての英語みたいなものだ。
確実に商売道具になる。
物理や化学もそうだが、特に、高校三年生でやる数学3(数学3C)がわからないと、理工系の大学では授業についていくことも、自主学習することも不可能であろう。
浪人中に受けた物理や化学のハイレベルな講義が目からうろこで、大きくレベルアップしたというのもよく聞く話だ。
そして、理系の場合には、これらの勉強の積み上げが社会に出て役に立つ。
受験英語だって役に立つ。
エンジニアだったら英語で書かれた仕様書を日常的に読むだろう。
理系の場合、受験勉強に打ち込んだり浪人を経験することは決して無駄にはならないと思っている。
では、文系はどうだろう?
文系の場合、大学受験で勉強したことが役に立つのか。
日本史、世界史、古文、漢文。
敢えて暴論をいう。
ほとんど役に立っていない。
法学部や経済学部の場合には「政治・経済」「現代社会」が対応するが、文系受験生の多くは日本史、世界史、地理を選択するだろうし、そもそも「政治経済」で受験できない大学も多い。
法律にしても経済学にしても、会計、マーケティングなどの商学にしても、ほとんどが高校までの勉強との連続性は薄く、リセットされてゼロから始めるのだ。
実際、大学受験もせず、大学に行ってない人でも、司法書士や税理士などの難関資格試験の勉強をし始めると、法律や税法について大学で勉強しているはずの有名大学の他のライバル受験生をごぼう抜きしたりすることがある。
そうなってしまうのも、文系の場合には、大学受験までの勉強の貯金が大学以降の勉強に生かせないからである。
文系の場合は、もう一つの悲劇がある。
大学で専攻した法律や経済学の勉強が、勉強が社会人になっても役に立たないことが多いのだ。
就職した後も、大学で法律を専攻した新卒を法務部に、会計を先行した人を経理部に配属とはならない。
大学でやったことと全く無関係の業務に就くことも多い。
じゃあ、文系でやる勉強が全くの無駄なのか。
建前で話せば、「大学受験や大学の授業で身につけた論理的思考力だとか目に見えない教養が底力になる」といった回答になるのだろう。
でも、こんな建前論を言っても仕方ないからあくまで本音で話すと、私が社会に出てそれを実感したことは一度もない。
膨大な量の文章を読む力は、むしろ資格試験だったり業務そのものに必要な勉強を通じて身につけてきた。
社会人になってからの勉強量の方が確実に今の業務での糧になっている。
こんな結論では寂しいので、大学に入るまでの勉強が役に立った点を無理やりでも探してみると、受験勉強を通じて勉強をする習慣が身についたことが挙げられなくもない。
ただ、ちょっと考えればわかるのだが、勉強する習慣にしても、別に大学受験で身につける必要はないよね。
実際、大学に行っていなくても、社会人になった後に勉強する習慣を身につけた人も結構多い。
逆に、大学受験までは非常に勉強家だったが、社会に出たらテレビを見てゴシップ週刊誌を読むだけの一流大卒の人たちも数多い。
ああ、役に立ったと思うことが一つだけあった。
社会科科目を勉強してきたおかげで、離乳食のような「日本すごい系」の本に接待・洗脳されにくくなったことかな。
例えば、そっち系のメディアや本に、植民地時代に植民地に高等教育機関やら近代的な建物がたくさんできたといった例が取り上げられていても、世界史などを勉強してた人なら、「それって典型的な植民地政策じゃん。」としか思わない。
ろくに歴史を勉強したことがなければ、「日本すごい!」となっていたかもしれない。
もう一つ例を挙げると、「ドイツの移民政策が失敗だったので日本も移民を排斥すべきだ」みたいな主張がある。
これも、地理の講義を受けたり受験参考書をちゃんと読んだことがあれば、「ドイツがトルコ人を移民として入れなければ、高度経済成長を迎え入れることができず、ドイツ経済はもっと早く詰んでいたはず」と思うだけだ。
なので、安易にその手の主張に煽動されたりしない(もちろん、リベラル系にはリベラル系の欺瞞というやつもあるんだが、それは別の話)。
まあ、素直に「日本すごい」に洗脳されちゃった方が楽しく生活できるのかもしれないと考えると、勉強して良かったかどうか分からないですけどね。
ドラゴン堀江その後
AbemaTVによる「くすぶった芸能人3人+堀江貴文さんが半年の勉強で東大合格を目指す」ドラゴン堀江という番組企画は、出演者全員が不合格で幕を閉じた。
その後も、出演者たちがyoutubeで舞台裏を明かしていたりするので、完全に終わった話題というわけではない。
番組で明かされなかった様々な事実のうち、一番驚いたのが、早稲田中退と紹介されていたTawashiさんが実は1浪して東北大学に合格していたことだ。
数学を大学受験で使っていたということだからだ。
オバンドー吉川さんは理系だし、わちみなみさんも数学が入試科目にある一橋大学を志望していた。
ということは、候補者全員が英語と数学を受験で使っていたことになる。
大学受験で一番時間がかかるのが、英語と数学である。
世間的には、数学ができる人は頭がいいと思われており、論理的思考力が一番反映されると考えられている。
そういう面ももちろんあるが、私は、受験数学は英語と並んで、体育やスポーツとしての要素が強い科目だと考えている。
反復しなければ絶対に習得できないし、練習量がものをいうのである。
社会などは、教科書や参考書を読んで理解をすれば、すぐに解答欄を埋めることができる。
論述を出す大学などでは社会でも大きな構造を聞いてくるような出題もあるにはあるが、基本的には、一問一答的な勉強の積み上げでもそこそこいける。
しかし、英語と数学は、解答欄を埋めるにも、文法構造だったり数学的な論理という一定のアルゴリズムに従って処理をしなければならない。
さっと教科書を読んで解答として再現できるような代物ではない。
戦えるようにするには、理解したことを何度も訓練して体にしみこませなければならない。
数学をやっていなかった受験生が、半年で受験で戦えるレベルになるわけがないのである。
半年では、せいぜい「サインコサインってこういうことか、指数対数もようやく意味が分かってきたぞ」という段階に到達するぐらいで終わるだろう。
こんなものでは、センター試験ですら点数は取れない。
英語と数学を受験で使ったことがある人だけを候補にしたということから、番組スタッフの用意周到さを感じる。
少なくとも選定者であるホリエモンと講師は、ガチでまあまあいい勝負をする可能性がある人を選ぼうとしていたという点だ。
番組であえてTawashiさんが数学使って東北大学に合格したことを明かさなかったのも、視聴者に共感をしてもらうためだろう。
視聴者に、数学を使わずに大学に入った受験生や、数学を使わないでも入れる大学を目指す受験生が多いからだ。
そういった人たちにも夢を見てもらえるような企画でないと、共感が得られないだろうからね。
ちなみに私も私立文系卒なので、最終的には数学は合格に寄与していません(汗)。
新元号に対する意識高い?人たちの反応と冷静な国民のリアクション
新元号「令和」が一昨日発表されました。
第一印象は、「レイワ」という音の響きがきれいだなというものでした。
「平成」が発表されたときには、「へいせい」という音になんともいえない脱力感が漂っているように思え、慣れるのにちょっとだけ時間がかかりました。
その時と比べれば、断然いいじゃん!と思います。
もっとも、発表された一昨日は寒かったこともあって、「令」が若干「冷」を連想させて、もうちょっと暖かさを感じる年号の方が良かったかなと、ほんの一瞬だけ思いました。
まあ、実に、どうでもいい感想ですね。
世間でも、新元号に対しては、おおむね好意的なようです。
もっとも、予想通り、意識の高い?人たちがあれこれと批判をしています。
特に一部のリベラルの方たちの間では、元号そのものに拒否反応を持つ方、命令の「令」について権威主義的であると批判する方が多いようです。
更には、元号を喜んだりその話題に熱中する国民全体にいら立っている方たちも少なからずいます。
国民が政府にまんまと煽動されてしまっているかのようなことを言う人たちまでいます。
まあ、リベラルの一部の方々からのこういった反応も、予想通りって感じですけどね。
ただ、国民って、そこまで安易に政府がコントロールできる存在じゃないと思うんですよね。
リベラルやインテリが考えている以上に、バランス感覚があると思います。
例えば、政府を熱心に応援しているような方々は、「中国 VS 日本」という構図から、今回の元号は中国の古典ではなく万葉集からの引用であったことを強調していたりします。
保守論客の中にも、今や日本こそが中国以上に漢字を使いこなしているのだ!などと誇らしげにいう方もいました。
しかし、ヤフーなどのコメントを見ると、こういった日本万歳をそのまま受け止めているような人は少数ですね。
ヤフーのコメントは保守寄りの傾向が強いのですが、それでも多くの人たちは、「漢籍から万葉集が影響を受け、今回の元号として花開いた」という受け止め方のようです。
古代中国の文化と日本の伝統を特に対立させることなく、自然な形で受容しているように思いました。
一部のリベラルが考えている以上に、国民のバランス感覚は良いと思うのですね。
もう一つ、興味深いことがありました。
元号発表の日に外務省が「今後は西暦による運用に切り替える」という方針を発表したのです。
それに対して、保守系コメンテーターの某竹田氏が苦言を呈し、その日の夜に政府筋から外務省に対して「元号を使うことは大した負担にはならないはずだから行政機関は元号を使うことが望ましい」との牽制がありました。
叱られた外務省は一気にトーンダウンしてしまいました。
そして、元号を西暦と併用するなどと言いだしました。
で、この件についてのヤフコメの反応はと言うと・・・
これが意外にも、外務省に横やりを入れた政府側に批判的な声が多かったのでした。
現場に煩雑な事務処理を強いてまで元号の使用を強制するなということなのです。
日本国民の内面には、「新元号いいじゃん」という感覚と「現場から遠いところにいる連中が元号使えとか現場に口出してかき乱すなよ」という感覚がちゃんと共存しているんですよね。
リベラルの一部の方々が考えているよりも、国民はずっと冷静だと思います。
酒を飲んでは「おでん」を買ってくる父
私の両親、特に父親の話をしてみたい。
私の母が初めて父親と出会ったとき、父は有名な新聞社から仕事を請け負うカメラマンであった。
有名私大卒であり、給料も高かった。
私の母は手に職があって、収入もあったが、中卒であった。
そのせいか、母は学歴の高い男性に非常に弱いところがあった。
父の出た大学も冷静に考えれば、有名ではあるが一流大学というわけではなかった。
しかし、母は「こんなに頭のいい人が自分を相手にしてくれるんだ!」と舞い上がった。
こんな母を浅はかだと笑うのは容易である。
父からしても、母は一回り若かった。
当時の母のような若い女性から思いを寄せられるのは、父にとってもまんざらではなかったはずだ。
そんな二人が結婚するのも時間の問題であった。
結婚してしばらくすると、母は独立して店を持ち、より高い収入を得るようになった。
だが母の収入アップと反比例するように、父はだらだらとして働かなくなった。
おまけに、父は酒のみで大の競馬マニアであった。
今から思うとカメラマンというのもウソだったのかもしれない。
いや、非常に大きく高そうな望遠レンズを何本も持っていたので、カメラマンをしていたということ自体は嘘八百というわけではないだろう。
有名な新聞社からの仕事をしているという部分については、話を盛っているのかもしれない。
父は熱心な赤旗新聞の読者であり、難しい本もよく購入していたようだ。
政治や世界情勢の話もよくしていたようなので、当時としては、まあインテリの方だったのかもしれない。
しかし、高そうな望遠レンズも、購入した書籍も、質屋で換金され、父が馬券を購入する費用に消えた。
母が私の弟を出産したときなどは、退院時に払わなければいけない入院費用を父はもって競馬場に行き、全部馬券代に使った。
まあ、私の父親はそういうやつであった。
結局、父親のだらしない性格のせいで両親が離婚することになったのだが、離婚するまで、私と弟は母よりも父に懐いていた。
母ときたら、年中イライラして、父に怒鳴り散らしているのに、父の方は子供の機嫌を取るのがうまく、私を肩車して、よく公園やらあちこちに遊びに連れて行ってくれた。
母にとっては悲劇だろう。
母にはよく叱られたが、父からは叱られたとか殴られた記憶は全くない。
ある日、母の指輪を質に入れた金で父は酒を飲みに行った。
母にとっては、親族の形見の大事な指輪である。
指輪がなくなっているのを知った母の顔は青ざめ、唇はワナワナと震えていた(その後、母は指輪や貴金属を見えないところに隠すようになった)。
父親はしこたま飲んで泥酔状態で帰ってきた。
案の定、修羅場になった。
しかし、私と弟はご機嫌であった。
なぜなら、父が買ってきてくれた土産の「おでん」があったからである。
父は飲みに行くと、いつもこういったお土産を買ってきてごまかそうとするのだが、かえって母の怒りの火に油を注ぐのである。
母としては、やりきれなかっただろうと思う。
なにしろ、私が無邪気に貪り食っているそのおでんの出どころも、母の指輪ですからねえ・・・
「ほら、お前も食え」
そういって父が母に差し出したおでんを、母は思いっきり手で叩き落し、ぶちまけた。
美人のあなたが「美人の娘を産みたい」と思った場合どうすればいいのか
美人のあなたが美人の娘を欲しい思った場合どうすればいいのか
「今度交際するとしたらイケメンがいい」
という正直すぎる発言をしたことが話題になっています。
橋本環奈さんのような美しいお嬢さんを産みたいからだそうです。
美男美女が結婚しても生まれてくる子供は案外そうでもないケースが多いという話を以前、下の記事で紹介しました。
平均への回帰という現象のためです。
この現象があるので、例えば、普通の人の二倍優秀な男女が子供を作っても、生まれた子供は両親をしのぐどころか、普通の人よりも若干優秀な程度にとどまってしまうことが多いわけなのです。
もっとも、美人であるあなたが、どうしても美人の娘を欲しいと思った場合、よい方法があります。
一番いいのは、自分の親族と結婚することです。
というのは、近親者も自分と似たような遺伝子を持っているので、美人の遺伝子が発現する可能性が高くなるからです。
兄弟姉妹との結婚は許されていませんが、いとこ同士の結婚ならば、法律的にも大丈夫です。
「イケメンなら赤の他人と結婚しても同じじゃないの?」
そういう反論をする人もいるでしょう。
ただ、あなたの中にある「美人遺伝子」と、他人であるイケメン君の「イケメン遺伝子」は、お互い他人同士なので喧嘩して打ち消しあってしまうのです。
その結果、生まれてくるお子さんは、あなたにもイケメンにも中途半端にしか似ていないような微妙な感じの顔立ちなってしまうわけです。
その点、いとこの中にある「イケメン遺伝子」ならば、あなたの「美人遺伝子」と相性がいいわけです。
子供も「美人ちゃん」「イケメンくん」になる可能性は格段に上がります。
とはいえ、いとこなどの近親者と結婚することは、メリットばかりではありません。
遺伝性の病気や障害が出てくる率も上がってしまうわけです。
近親婚やそれに近い結婚をした場合、美点も受け継がれるけれども、欠点も受け継がれてしまう可能性が出てくるわけです。
人間の世界で美点とされていることや優秀な特徴とされていることも、生物学的に見れば、平均から外れているという意味では、病気や障害と共通するわけです。
生物としては、もっとも平均に近い状態こそが正常なわけです。
そのため、どんな美点や欠点を持つ人でも、子世代、孫世代と、世代を経ることで、美点も欠点も緩和され、平均状態に戻っていきます。
というわけなので、「いとこと結婚した方がいいですよ」というアドバイスは、やはり撤回します。
妻にキーボード付iPadカバーを買ってあげて失敗した件
Smart KeyboardとBluetoothキーボードでは、やはり使い勝手は全然違いますね。
ガジェット好きならBluetoothキーボードとiPadをペアリングさせることも苦にならないでしょう。
ただ、ガジェットに思い入れがない人でもSmart Keyboardならばノンストレスで使えるというのは素晴らしいです。
今まで、Bluetoothキーボードはろくに使わなかった妻が、Smart Keyboardに変えてからは、バリバリと使うようになったので、余計にそう思うようになりました。
私の妻はiPad mini4を常時鞄に突っ込んで持ち歩いていました。
外出先でもお客さんにメールの返信などをしていました。
そこで、スマホではなくタブレットでメールの返信ができたら便利だろうと思い、Bluetoothタブレットがついたカバーを妻にプレゼントしました。
1万円前後のしっかりとした作りのものです。
ペアリングの方法などもバッチリと教えました。
しばらくして、「キーボード付きのカバーの使い心地はどう?」と聞いたら、「とても使いやすい」「気に入った」との回答。
気をよくした私は、調子に乗って、リビングにあるiPad Air用にも同一メーカーのBluetoothタブレットがついたカバーを買いました。
妻は、1人でリビングにいるときにiPad Airを使っていることが多いからです。
購入後、半年ぐらいしてから判明しました。
妻は、Bluetoothキーボードを全く使ってないのです。
外出用のiPad mini4とiPad Air、両方共です。
どうやら、ペアリングが切れたり、バッテリーがなくなるなどしてキーボードが反応しなくなっているのに、再度接続したり充電するのが面倒なようで、反応しなくなったキーボードを放置しているのです。
「メールの返信するときに困らない?」と聞くと「スマホで返信するから大丈夫。」とのことでした。
ペアリングの方法も説明を受けたときは覚えるけど、記憶やメモに残す気があまりないらしく、すぐに忘れてしまうのでした。
それではキーボードの意味が全くないやん・・・
使いもしないバッテリー内臓のキーボードがついた重いカバーを持ち歩くことを考えると、かえって邪魔になってしまっています。
「キーボード使わないならばもっと軽いキーボードなしのiPadカバーに変えたらどう?」
そう提案してみたのですが、キーボードも「オブジェとしては可愛いからこのままでいい」のだそうです。
意味わからん・・・
しかし、その後、妻は「iPad mini4+Bluetooth Keyboard」から「iPad Pro10.5+Smart Keyboard」の組み合わせに買い替えをしました。
すると、今度はペアリングと充電が不要になりますから、キーボードをバリバリ使うようになったのです。
私のようなガジェットが好きな人間には、キーボードのペアリングや充電などは苦になりません。
むしろBluetoothを前提とすることで(価格帯等も含めて)キーボードの選択肢がすごく増えますから、選ぶときには、まずBluetoothから考えます。
しかし、妻の場合には、完全にキーボードのペアリングや充電がボトルネックになっていたということですね。
ガジェットに詳しくない妻や両親にiPadをキーボードと一緒にプレゼントする場合、Bluetoothでつなぐタイプのキーボードは避けた方が無難ですね。
iPad ProとiPad Air3については専用のSmart Keyboardがありますから(価格面以外では)問題ないのですが、iPad 2018でBluetoothキーボードを避けようと思ったら、有線キーボードを選ぶしかないですね。
私は、Smart Keyboardが使えないiPad用に以下のものを買いました。
https://www.amazon.co.jp/dp/B012VMMY94?tag=s02a3-22
キーボードについているライトニングケーブルをiPadに差し込むだけなので、非常に便利です。
iPadだけではなく、iPhoneにも全く問題なくつながります。
自宅に常設なら、これで問題ないです。
ただ、外出時に持ち歩くとなると、カバーと一体になっているわけではないので、ちょっと不便ですね。
そう思っていたら、以下のような便利なものも出ているんですね。
「dodocool iPad 9.7有線キーボード 2018」
キーボード付きカバーですが、使用する際に、ライトニングケーブルをキーボードから引き出して、iPadにつなぐことで完璧に動作するようになるのです。
まあ、Smart Keyboardと比べると、ケーブル引き出してを差すというひと手間が加わってしまうのですが、アナログな動作なので、ガジェットに疎い人でも全然いけますね。
iPad Air3のSmart Keyboard(スマートキーボード)はiPad Pro10.5と同じものなのか
iPad Air10.5が発表されると同時に、Pro11と併売されていたPro10.5がすっかりAppleのサイトから消えてしまいました。
それと同時に、Pro10.5用のSmart Keyboardが消え、代わりにAir10.5用のSmart Keyboardに置き換わっていました。
Pro10.5用のSmart KeyboardとAir10.5用のSmart Keyboardは同じものなのか?という疑問がわきますが、どうやら同じもののようです。
私がPro10.5用に昨年(2018年)に購入したSmart KeyboardのAmazonのページを見てみました。
すると商品名が、Air10.5用と変更されていました。
ということは、
Air10.5用のSmart Keyboardは新製品ではない
既存製品の名称を「Pro10.5用」から「Air10.5用」へと変更しただけ
ということになります。
「iPad AirおよびiPad pro10.5用」と記載してくれれば親切だと思うのですが、AppleのサイトのiPadアクセサリー用のページを見ても、ぱっと見、「iPad Air用 Smart Keyboard」としか書いていないんですよね。
まあ、AppleのサイトもAmazonのページも、丁寧に読めば、iPad Air用のSmart KeyboardがiPad pro10.5用にも使えると書いてあるんですけどね。
このあたりは、リセットして前へ前へと進むいつものAppleらしいという感じです。
下のような記事を書いた手前、「iPad Pro10.5用のSmart Keyboardは売っていないのか?」という疑問に対してもお答えしておかなければと思ったので、一応、追加しておきました。